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新NY漫遊記

NYで暮らしたい大作戦 日本準備編
 
きっかけ
奨学金
アルバイト
学校
Visa

きっかけ

ジャズピアノを始めた頃から毎週レギュラーで出演しているDONSHOPはいわゆるミュージシャンのたまり場で、ミュージシャンが集まって毎晩セッションをすることが度々あった。

ここはブルーノート大阪の真向かいにあり、色々な有名プレイヤーとのセッションをする機会が度々あった。素晴らしいプレイヤーとのセッションはとても良い勉強になり、それと同時に彼らが住んでいるニューヨークに対して強いあこがれを持つようになった。

その中でドラマーのグラディ・テイト氏と交流を持つ事ができ、彼が大阪に来たときは一緒に演奏したり、色々な話を聞かせてもらったりしていた。ある時、歌を交えながらとてもわかりやすく素晴らしいアドバイスをもらい、それをきっかけに一気にピアノを弾くのが楽しくなった。その時、グラディさんが何気なく言った”ニューヨークにおいで”という言葉で絶対に行くぞ!!と堅く決意したのであった。


奨学金

それから1997年の6月、1ヶ月程ニューヨークに行って、ライブを聴きに行ったり、初めてオルガンのライブをしたり、オルガンのレッスンをサム・ヤハルに受けた。彼はニュースクール出身で、いわゆるアカデミックな教育を受けてきた人で、そのあたりに弱い私は目から鱗が落ちるような感じだった。ミューヨークのミュージシャンはみんな個性的ですごくクリエイティブに見えた。私もここで生活してみたいと強く思った。

大阪に帰って、貧乏な私でもどのようにしたらニューヨークで暮らせるのかと考え、とりあえず学校で見つけた文化庁の在外派遣芸術家に応募してみることにした。これは演奏のテープと現地の受け入れ施設がしっかりしていて、音楽関係の推薦者が2名いるということなのでこれならと思い、音大の赤松先生とグラディさんに頼んだ。グラディさんにはなるべく私の事を良いように書いてと頼み込み、まるで水戸黄門の印籠のような素晴らしい推薦状を書いてもらった。演奏のテープも録音し、絶対に通 ると思っていたのだがそんなに甘くはない・・・一次審査で落ちてしまった。

つぎに思い立ったのがロータリー財団の奨学金。友人がこれでニューヨークに留学できたので私もと思ったのだが、書類は全部英語、日本語両方、語学教師と大学の教授2名の推薦状、作文などこれでもかという位 たいへんで、その上筆記と会話の試験もあり、見事玉砕した。筆記の試験は英語はFRIENDSHIPについて、日本語は難しすぎて何か忘れてしまい、会話は一番ましだった様な気がしたが、後で聞くと“国際親善として勉学に励むよう努力する”と言わなくてはいけなかったそうだ。それ以前に東大出身者でもなかなか通 らないらしく、子供の頃から勉強には縁がないわたしが通るわけなかったのだ・・・まさに身の程知らず。

次にトライしたのがロームミュージックファウンデーションという芸術家を対象とした奨学金。しかし、これは志望理由と必要経費を書くだけで演奏のテープもいらないし、どうもどういう基準で選ばれるのかもはっきりせず、やはり落選。 やっぱりそう簡単に奨学金を受けることはできないと身をもってわかった。やはり、ミュージシャンとしての知名度、学歴など絶対条件だし、推薦状等書類を書いてもらわないといけないし、色々な人の協力なしに申し込むことは不可能ということもわかった。これからは気軽な気持ちで受けるのはもうやめようと思った。 それで次に考えたことは・・・・


アルバイト

2000年4月のある日曜日、朝刊の折り込みチラシを見ていたら電報のオペレーターの募集が載っていた。なんでも電話の対応等、会話の訓練もできるそうで、おまけに家から自転車で10分でいけるところにある!これだと思い、早速応募したらなんと採用されてしまった。 もちろんミュージシャンをやってることは内緒で・・・

1ヶ月の研修の間、ブラインドタッチから始まり、電話の対応の仕方、コンピュータの使い方を覚えたり大変だった。おまけに他の人はみんなまじめで、私は落ちこぼれていたが、ラッキーなことに一番端の目立たない席だったので、適度に息を抜きつつ要領だけを身につけることに専念した。 いざ現場にでるとこれがなかなかおもしろくて、私にぴったりの仕事だった。まず、人間関係が煩わしくなく、適度に暇で休むのも結構自由(よく熱を出したことにした・・・)早退、遅刻は前もって言っておけばある程度は自由。結局私は6ヶ月働いてボーナスと有給休暇を10日間ももらった。なんせ、制服も高校以来、初めて”会社”というところで働いたから見る物聴くこと全て新鮮で、同期で入ったミュージシャン以外の友達もたくさんでき、OL気分を満喫した。お金もだんだん貯まってきて、2001年1月に行くことにした。いよいよニューヨークが現実味を帯びてきた。


学校

ニューヨークに行こうと決めたものの、学校に行くのか(F1ビザ)観光ビザで3ヶ月ごとに出入りするのか(ビザなし)用途の広いでも取得しにくいビザ(B2ビザ)か、どれが一番自分に合っているのかが次の問題となった。 そこでせっかくパソコンがあるんだからインターネットをフル活用しようと思い、色々検索してみた。そしたら出るわ出るわ・・・何と便利な世の中になったものだと改めて感心した。その中でも特に良く活用したのが、留学関係のホームページ中の質問箱のページ。留学全般 に渡って皆さん懇切丁寧に質問に答えて下さって、とても役立った。

それで私が選んだのは結局学生(F1)ビザで、本当は学校に行く時間ももったいなかったのでB2ビザを申請しようかと思っていたが、聞くところによると一度ビザを却下されるとパスポートに却下のはんこを押され、次回からは他のビザを申請し直しても何かと面 倒だと言うことで、英語の学校に行こうと思った。でもよく考えたらろくに英語も話せないのに、ましてや一人なのにやっぱり学校に行った方が安心かな? それで大学進学も考えていないし”ニューヨークでなるべく安くてちゃんとしてる所”を現地在住の友人に聞いたり図書館で調べたり、ネットで調べたのだがこれがまた”そこそこ高くてちゃんとしてる所”はたくさんあったけど、予算が・・・

と言うわけで、結局ラ・ガーディア・コミュニティカレッジに行くことにした。ここは調べた中でも一番良心的な値段で、まあ公立の短大付属英語学校というのでクオリティは行ってみないとわからないけど、雰囲気も良さそうでクイーンズの交通 の便利なところにあって、ばっちり。 あと資料を取り寄せたところはケンブリッジスクール、ロングアイランド大学、シティカレッジなど。


VISA

学校から願書が送られてきて、まだ早いと思いながらも、書類集めに取りかかった。まず卒業した大学に成績証明書を送ってもらい、次に私にとって最難関の銀行の残高証明書。これはたまたま親の会社を立て替える事になっていたのでその資金を私の名前にしてもらって何とかクリア。本当は親が私のスポンサーということにしてもよかったのだが、この年になってそれも恥ずかしいようなきがして・・・(どっちにしても一緒だったが)

8月に願書を出して、2週後には書類が送られてきた。これで晴れて・・・と思っていたら、結婚して名字が変わったことを証明する書類を提出しなければいけないとのこと。英訳した戸籍謄本なんてないし、どうしたらいいのかと思っていたが、結局、戸籍謄本を箇条書きにするのがいいらしいとの友人のアドバイスで、原本と箇条書きを送ったらそれからすぐにI-20が送られてきて本当に留学するんだという気になった。

12月に入り、学校の入学日から3ヶ月前になったので、ビザの申請にアメリカ大使館に行った。色々なところから”あたしら位 の歳になったらそう若い子みたいにすぐにビザくれへんでー面接に呼び出されてむかつくこと言われるねん。あんたもきぃつけーやー”と言われていたので結構どきどきしながら行ったが、入り口のおじさんはとても親切で、とても暖かい雰囲気の所だった。 結局面接もなく、中3日で無事F-1ビザが郵送されてきて、いよいよニューヨークが近づいてきた!


NY 編に続きます。コチラよりどうぞ!

 

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